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2013年07月01日

トップインタビュー【経営指針】

「お客様の満足と社員の幸せを両立する会社」 を目指して、その歩みは止まらない 【後編】

右肩上がりの成長を続けている株式会社ヒューマンシステム。同社の湯野川恵美社長に、これまでの軌跡や経営者としての歩みについて伺った。

トップの修羅場・土壇場・正念場 第5回

トップの修羅場・土壇場・正念場 第5回
株式会社ヒューマンシステム
代表取締役 湯野川恵美さん
「お客様の満足と社員の幸せを両立する会社」
を目指して、その歩みは止まらない
帝国データバンクによれば、東京都内のIT企業約8,000社のうち、売上が10億円超の企業は約1割の729社。毎年250社が誕
生し、同じだけの企業が消えていくという。そんな壮絶な世界で、今年で21期目を迎える株式会社ヒューマンシステム。中
小企業ながら、圧倒的な技術力を武器に、設立以来、売上高も社員数も右肩上がりの成長を続けている。同社の湯野川恵美
社長に、これまでの軌跡や経営者としての歩みについて伺った。
 
株式会社ヒューマンシステム
代表取締役 湯野川恵美さん
写真1
<プロフィール>
福島県福島市生まれ。福島市で小中学校とすすみ、福島県立福島女子高校(現 橘高校)、東北電子計算機専門学校卒業後、
株式会社ビッツに入社。 1990年、株式会社システムハーモニーに創業スタッフとして参加。1992年9月、現株式会社ヒュー
マンシステムを設立。1994年、通商産業省(当時)インターネット試行プロジェクトに参画。2006年4月、日本工業大学専
門職大学院 技術経営研究科入学(翌年3月卒業)。技術経営修士。2009年より日本工業大学専門職大学院 客員教授。東京
中小企業家同友会 前副代表理事。
<企業データ>
株式会社ヒューマンシステム(http://www.humansystem.com/)
所在地:〒108-0014 東京都港区芝4-5-10 カーニープレイス芝10F
代表者:代表取締役 湯野川恵美(本名:伊藤恵美) 
設立:1992年9月 
事業内容:システムインテグレーションサービス、コンサルティング・ソリューションサービス、ビジネスソリューション
サービス、ASP、PP事業(イーサークル(e-Circle)/学会や各種団体向け会員管理ASPサービス、CSM(CareerStageMaker)/
人材紹介業向けパッケージ、ヒューマンワークス(Human Works)/総合人材資源管理システム)
売上高:12億,3000万円
社員数:120人(平均年齢31歳)
■聞き手/株式会社オンステージ・ミキ 代表取締役 大内美樹
【前編】
モノを作る仕事を目指して
システムエンジニアの道に
 
大内:まずは、いつもはつらつと、東京中小企業家同友会(以下、同友会)をはじめとする社外の活動にも精力的に取り組
まれている湯野川社長ですが、意外なことに高校時代は引きこもりだったそうですね。
湯野川:あまり人には言えない過去なのですが(笑)、私は母方の祖父母にとって初孫だったので、どこに行くにも祖父母
と一緒。父親とは比較的縁が薄かった気がします。両親は私が二十歳のときに離婚してしまったのですが、高校時代ぐらい
から仲が悪くて。それが少なからず影響したんでしょうね、いわゆる「引きこもり」学生でした。高校時代は、理系で医療
系に進む人が多かったので、私も地元の医大を希望していましたが、結局、成績が伴わず断念し、浪人は女の子だから許さ
ないということでコンピュータの専門学校に入りました。
大内:コンピュータの道を選ばれたのはなぜでしょうか?
湯野川:大学に落ちて自分が何をしたいのか・・・と考えた時に何かモノを作る仕事に就きたいという思いが自分の中にあ
ることに気がつきました。でも、手先が器用ではない。そんなとき、プログラムやシステムを作る「システムエンジニア」
という職種があると知って興味が湧きました。勉強していくと、案の定、全く形のないものから沢山の人が使う仕組み(シ
ステム)が出来上がっていく。非常に楽しかったですね。卒業後は、東京の中堅ソフトハウスに就職。新人時代は、妥協せ
ず、きちんと丁寧に仕事をしていくことにこだわりました。決してスピードがある方ではありませんでしたので、先輩方は
心配していたらしいですが(笑)。振り返れば、今の当社の新人よりはるかに多くの仕事量をこなしていたと思います。や
はり、ある程度の仕事量をこなした時にわかるということはありますよね。2年目にはSEとして一機能をまかされ、奈良、
広島と長期出張で現地調整にいったりもしました。
突然の解雇通知。
仲間とともに起業に踏み切る
 
大内:その後、自ら会社を立ち上げていくわけですが、どういった経緯があったのでしょうか?
湯野川:プログラムを作るのが大好きで、夢中で仕事をしていた27歳のとき、上司が鬱病になってしまい、行きがかり上、
山梨の新聞社の2億円もの案件を任されることに。新聞の全制作工程をコンピュータで処理する「トータルCTI」の開発プ
ロジェクトの一部で、なんと全体の検収を見極める対象となる機能の開発でした。私がそれまでに経験してきたのは3人前後
の小規模プロジェクトだけで、全く自信はありませんが、急遽プロジェクトリーダーとして30人ものスタッフをまとめ、1
年がかりでシステムを作り上げました。この仕事は非常に成績がよく、利益率も高くて、2週間のアメリカ研修にも行かせて
いただきました。開発が終わって、半年ほど過ぎて燃え尽き症候群のように気力もうせてしまったとき(笑)に、独立を計
画されていた外部方に誘われ、会社を退職。新会社の創業スタッフとして参加しました。1990年4月のことです。
ところが、1992年夏、突然解雇通知が送られてきます。それ以前から自分達は稼いでいるのに、お給料が遅延したりして、
おかしいなと感じていました。当時、私は顧客先に常駐している身で会社の動きがよくわからない。わけもわからず、夏休
み明けに渋谷の事務所に行ってみると、マンションは解約されていて会社はなくなっていました。仕方なく私は就職先を探
し、内定ももらいました。しかし、世はバブル崩壊直後。IT会社は何十社と潰れている。他の社員はみな年若く、経験が
少ないというだけで一人も就職先が決まりませんでした。ちょうどその頃、友人から、お客さまが前に参加していた新聞社
の仕事で新しい案件を受注したと聞き、お客さまの担当部長に「どこかの会社経由で、彼らに仕事を出してもらえないか」
とお願いしに行ったのです。すると、お客さまは「どこかの会社経由ってだれが責任をとるの?」と厳しく諭された後、「君
が社長でやるなら仕事を出してもいいよ」と。そんなやり取りで会社をはじめるということを踏み切ることになりました。
夢を持って起業したというより、割と安易に、みんなご飯が食べられないと困るから、という理由でのスタートだったんで
す(笑)。当然、迷いもありました。そんな中で、背中を押してくれたのはアラン・カーティス・ケイの「未来を予測する
最善の方法はそれを自分で創ること」という言葉。社長がどんな仕事かはわからないけど、みんなで未来を創っていく会社
なら、私が社長でもいいのではないかと思い、決心したのですね。
大内:それが92年の9月ですね。
時代の流れを追い風に
右肩上がりの成長を維持
 
湯野川:会社の立ち上げにあたって考えたのは、「ハードウェアとソフトウェアだけでシステムが成り立っているとは思わ
ない。人が使うシステムは人により創られる。だからこそ、システム作りにおもいやりを持って取り組む会社にしたい」と
いうこと。その想いを込めて、社名はヒューマンシステムに、仕事をする上で「技術・おもいやり・豊かな人間性」を大切
にしようとみんなで話し合い、これを社是にしました。また、『小さな会社の作り方』という本に、「経営計画を立てなさ
い、まず5年後にどういう会社になっていたいかを考えましょう」と書いてあったので、素直に「5年後に社員20人、売上2億
円」という目標を立て(笑)、5人でデータベースの技術に特化した会社をスタートしました。
当時、データベースは成長が期待された技術。時代の流れに乗っていたので、事業は順調でした。94年には旧通商産業省
が推し進めるインターネット試行プロジェクトに参画し、95年にはインターネットサイトを構築、他社に先駆けてインター
ネット開発に乗り出しました。今では多くの人が利用するインターネットモールやネットスーパーの開発ができるようにな
ったのも、「楽天市場」がオープンした97年です。売上的には初年度で1億円、当初目標の2億円は5年も経たないうちにクリ
ア。ドッグイヤーと言われ、経営にスピードが要求される時代ででもあったので、非常にドキドキしながら、楽しく激しく
仕事していましたね。
大内:大きな仕事も多数手掛けてらっしゃいますよね。
湯野川:2000年に大手コンビニサイトのプロジェクトに参加し、大手パソコン量販店のプロバイダーシステムの開発、01年
には大手人材紹介会社の業務支援システムを構築し、高い評価をいただいたことがきっかけで、他の人材紹介会社からも結
構引き合いがありました。そのご縁で日本経済新聞社さんとのお付き合いが始まり、07年には弊社に出資もしていただいて
います。「日経就職ナビ」「日経ウーマンオンライン」、「日経電子版のスマートフォン対応」などはわれわれが担当して
いるんですよ。最近の代表的な仕事としては、三菱商事さんが展開されている「Pontaカード」の会員システム。09年
にリーマンショックでガタガタの時期に11社コンペで勝ち取った仕事ですが、「一番考えてくれそうだから」ということで
選んでいただきました。提案からシステム開発、保守・運用まで全ての工程にわれわれが関わっており、現在の会員数は
5,000万人です。
創業メンバーの退職を機に
社長の勉強をスタート
 
大内:素晴らしいです。バブルが弾けた直後にもかかわらず、増収かつ黒字経営。とても順風満帆に見えますが、人知れず
ご苦労もあったのではないでしょうか。経営者としてのターニングポイントはいつだったのか教えていただけますか?
湯野川:中小企業家同友会に入ったことが最初のターニングポイントだったと思います。起業して1年後、あるメンバーが突
然「板前になりたいから、辞めさせてほしい」と言い出したんです。非常に腕のいいエンジニアで、彼がいたから起業を決
意したくらいほれ込んでいた相手。その彼が、ITを創造的な仕事と思っていなかったことにすごくショックを受けて。こ
の出来事をきっかけに、「いったい会社ってどういうものなんだろう?」と疑問を持つようになったんです。あるとき、同
友会に未来工業さんの講演を聞きに行き、私の父親のような年の方が真剣にグループ討論に参加されている姿を見て、そこ
で初めて“社長”と“社員”が違うということを感じました。サークル活動の延長のような形で会社を始め、立場など関係
なく、彼らを仲間としか見ていなかった私は、社長の勉強が必要だと痛感。即座に同友会に入会しました。以来、定期的に
例会や交流会に出席し、さまざまな企業の社長さん方と接する中で、社長としての振る舞いや、経営オペレーションを学ば
せていただいたり、今でも経営上の相談に乗っていただいたりしています。(後編に続く)

 

「お客様の満足と社員の幸せを両立する会社」

 

を目指して、その歩みは止まらない 【後編

 

 

帝国データバンクによれば、東京都内のIT企業約8,000社のうち、売上が10億円超の企業は約1割の729社。毎年250社が誕生し、同じだけの企業が消えていくという。そんな壮絶な世界で、今年で21期目を迎える株式会社ヒューマンシステム。中小企業ながら、圧倒的な技術力を武器に、設立以来、売上高も社員数も右肩上がりの成長を続けている。同社の湯野川恵美社長に、これまでの軌跡や経営者としての歩みについて伺った。

 

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株式会社ヒューマンシステム・代表取締役湯野川恵美さん

 

聞き手/株式会社オンステージ・ミキ 代表取締役 大内美樹

 

 


【後編】

 

社会人大学院に入学。 

ところが2人の重要人物が会社を去り…

 

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湯野川

経営者として次の大きな転機は、2006年から07年にかけて。日本工業大学社会人大学院在学中のときです。実は02年に、生まれて初めてシステムを使って頂くことができなかった、プロジェクト自体中止になるという苦しい経験をしました。当時、腕に覚えがあるわれわれは、どんなお客さまの要望にも応えられると自負していて、しかも、同時に複数のプロジェクトを抱えていました。お客さまの要求をまとめてシステムを開発するのですが、何度もお客様の要望が変わり、そのプログラムと関連したプログラムにも修正が発生し、プライムコンストラクタの会社から責任を追及されている場で、最後に助け舟を出してくださったのは、2次請けとして我々の契約上の元請けとなっていた会社の部長さん。「湯野川さん、これはもともとの要求が固まらない限り品質は上げられないよ」という言葉に、われわれが目先の仕事をどうにか終わらせるということしか考えていなかったことを思い知りました。

 

この一件で、どうしたら上手く要望をまとめて業務システムを構築し、品質を上げていけるのかと、不安を覚えるようになっていきました。一方で、会社はその後も成長を続け、05年には売上10億円を達成するのですが、「なぜこんなに毎年毎年、数字を達成するのが苦しいのかな」と、ふと思うときはありましたが、それまで自然発生的に仕事が増え、たいした苦労もなく、会社は大きくなってきたので漠然とした不安感という感じでしか表現できない不安がありました。今思うと、私がやってきたのは足し算の経営であり、1+1をどう2に近づけるかしか考えていなかった。

 

経営が掛け算でないといけないこともわからなかったんですね。だから、お客様の満足と社員の幸せは相反するのではないかと考えたり、社長であるのに「経営力より技術力!」っというような経営をしていました。そんなとき、日本工業大学からの依頼で講演をし、お礼に見えた先生に「ビジネス・アンド・システムインテグレーション」という講座があることを教えていただき、経営とシステムを繋ぐシステムの構想を立てるところを現役のビジネスコンサルが教えてくださるという授業に技術者として興味があり入学を決めました。入って1か月で、目から鱗、経営に対しての考え方が180度変わりました。


技術経営総論の小原重信教授が「経営とはアートである。画家は数百円の絵の具で数十万、数百万の絵を描く。それに匹敵するようなものが経営である」と話してくださって、「お金を儲けることが経営ではないんだ」と衝撃が走りました。「自分が現場に入って、社員と競争している場合ではない、真剣に経営に取り組まなければならない」と、この頃から経営者としての自分を強く意識し出しました。それが、第2のターニングポイントだと思います。


大内

経営をしながら、学校にも通ってらっしゃったんですね。


湯野川

そうなんです。でも、学校で学んだ経営のセオリーを自分の会社に適用しようとしても、まだ仮免中ですからうまくは行きません。そんな中、それまでの会社を支えてくださった人事を担当してくださった顧問、ある一部上場の大手企業で研究所長された方が、辞められてしまいました。私の収集のつかない話を上手に整理して社員に通達したり、現在、会社の基盤となっている人材を採用してくれたのもその方でした。当時は大学院に行って忙しく、毎日がいっぱいいっぱい。「社員に対して、ちゃんと対応していない」と叱られたのですが、結局、「ここからは湯野川さんは一人でやっていきなさい」と手を離されてしまったんですね。今思えば、体の調子を崩されていて、辞めるタイミングを見計らっていたのかなと思いますが、すごいショックでした。

 

そんなことがあったあと、今度はうちのナンバー2が辞めると言い出します。彼は新入社員のときからかわいがっていて、27歳で取締役でした。理由を尋ねると、「お客様の経営とか考える会社にいたくない」と。何度も何度も話をしてわかったのは、彼のネットゲームがやりたいという想い。われわれが作りたいのはお客さまを支えるシステムですから、袂を分かつしかなかったんですね。心底ショックを受けて、私は一人ぼっちだと思うときさえありました。

 


モノ作りの会社から

サービスを提供する会社へ

 

2004年当時.jpg

2004年当時のミーティング風景 


大内

会社の屋台骨を支える2人が去っていった辛い出来事を、行動的にも精神的にもどう乗り越えていったのでしょうか?


湯野川

これまで基本理念や何を大切にしていくかを共有し、お互いに共感できていれば、違う志向で仕事もできると思っていました。しかし、そうではない。行く方向が一致していないと、一緒に会社はできないのだと悟り、ビジョンを策定しました。それは「お客様の満足と社員の幸せを両立する会社」。その考え方の基になったのが、事業ロードマップです。まず、自社の会社の歴史を振り返っていき、こうなりたいという未来像を書いていく。すると、目標に向かって何をしなければならないかが見えてきます。われわれの場合は、データベースに特化した会社から始まり、eビジネスを手掛け、システムを作る会社になり、さらに近年は人材系の情報システム作りに強みを発揮してきました。目指す姿は「システム創りにおもいやり」の実践。そのために、これから先は少しずつお客様の役に立つビジネスソリューションをサービスも含めてお客様に提供していける会社になろうと決意しました。また、モノ作りという意味でいうと、各プロジェクトレベルで信頼を確立していくだけでは、なかなか会社としての信頼に結びつきません。開発だけでなく、保守・運用や次の提案を通して、恒常的にサービスを提供できる会社を目指す、それがブランドとなってビジネスが展開されていく。それが実現されると、自ずと「お客様の満足と社員の幸せを両立する会社」になっていくのではないか。これが1年間大学院で学んだ成果ともいえます。もしも、このような学びがなければリーマンショックのような大きな経営環境の変化に対して経営者としての対応はできなかったと思っています。


現在の目指すビジョンは「10年後も20年後も必要とされる会社」になること。そのために、これから先は少しずつであっても、お客様の役に立つソリューションをサービスも含めて一人でも多くのお客様に提供していける会社になろうと思っています。


ヒューマンシステム図表.pngのサムネイル画像 

出所:株式会社ヒューマンシステムHP(http://www.humansystem.com/


湯野川

組織にも手を入れました。ナンバー2の退職で、取締役のポストが空きましたが、後任を据えようにも、彼と幾つも違わないもっと若いスタッフしかいない。同じことではないのか?悩んでいたときに、同じく日本工業大学の武富為嗣教授が役員を引き受けてくださって、自分の修士論文を見てくださった小原教授にもお願いしたところ、快く引き受けてくださいました。そして、若手は執行役員に任命。執行役員は1年任期とし、実績を積まないと役員に昇格できないような仕組みを作りました。その後、小原先生はご高齢のため退任され、現在は、中央大学の戦略経営研究科教授を務められている山本秀男教授が加わってくださっています。山本教授は、超大手のIT企業に長く勤務されていたご経験から、技術者の教育や組織改革、営業の対応など具体的なアドバイスも頂くことができます。このように周りの方々のご縁に恵まれ、助けていただき、精神的にも辛いことなどもありましたが、なんとか乗り越えて来ることができたと感謝しています。

 


 

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